2010年2月9日火曜日

都市の住まいと自転車


 私は賃貸派建築家とも言われ、住まいは常に賃貸だった。無論、都心近くに土地をもって自分が設計した戸建ての住宅に住まう事への執着はある。しかしながら、経済的状況がそれを許さないわけで、一般勤労者の一人でしかない私には、東京で土地と家を入手するのは困難、不可能なことではある。だからといって、各種の事情から、分譲マンションを買う気にもなれないで、できるだけ都心近くに賃貸のマンションを借り住んでいた。今も世田谷には住んでいるが、色々合って戸建ての住宅に部屋代払って生活している。都心近くにいたせいか自転車通勤にさしたる不安も抱かず始めたが、3年以上続けていると、都心で自転車と共に生活することの利便性を実感を伴って感じることができる。

 幸か不幸か、私の結婚記念日と義父の命日が同じ日で、私の老母の誕生日も近い3月の下旬、既に恒例行事となっている年に一回の、神宮絵画館前の銀杏並木にあるレストランで、ワイフと私、それぞれの老母2人も呼んで、4人で3時のお茶を楽しむことになっている。屋外のテーブルに座り、もうすぐサクラがグーチョキパーなんていいながら、春だなーの感じをみんなで楽しむのだ。私の事務所からは自転車で数分、ワイフが2人の老母を車で連れてくる。ダウンのコートがほとんど消えた街には、春の明るい日差しが眩しい時期で、屋外でのお茶とケーキを楽しめる。

 都心近くに住まうことの大きなメリットがここにある。屋外テラスにテーブルを持ち出せるような、人が集まっているから成立している都市の施設を十分に利用できるメリットだ。大きな病院もいくらでもあるし、教育、福祉、文化に関わる施設も多い。都市東京は大きくなり過ぎてしまって、一般勤労世帯の多くは通勤時間1時間以上の所にある。都心で働いている人の昼休みに、家族が訪ねるようなことは皆無だ。実は諸外国では多々あることで、同僚スタッフの奥さんや子供たちがオフィースの中をウロチョロしているのは珍しいことではない。

 アメリカに長く生活していたが、都市に住む人に向けての夜が長かった。芝居やコンサートなどの開演時間が9時なんて事もあった。日本では先ず無理である。終演が11時近くになると電車で帰宅できなくなる。今の東京では、郊外のベッドタウンに住んでる人は、面倒臭いこともあるのだろうが、週日の夜に芝居などのステージを見に来るような事はない。それは、遠いいからで、近くにあれば、必ず利用するはずだ。夫婦2人でミュージカルやジャズのコンサートを、夜、楽しめる時間があるのだ。

 米国の子供たちは、父親の職場がどんなモノなのかを知っている。自分のオヤジがどんなところで、どんな仕事をしているのかを見ている。しかし、日本のほとんどの子供たちは、自分のオヤジの職場を知らないでいる。これって、何か、変だと感じしません? 今の日本の子供たちは父親の働く姿を見ないんですから。

 都心近くに住んでいれば、自転車でどこへでも行ける。子供も大人も、誰でも自転車で行ける。東京が大きくなったと言っても自転車に跨れば、直ぐだ。山手線内であれば、真ん中の皇居あたりから30分ほどで何処へでも行けちゃう。私の表参道の事務所から銀座までは30分も掛からない。赤坂や六本木なんて、ホント、直ぐ。仕事の関係で神田、お茶の水界隈、田町や品川方面に出かけることも多いが、自転車に乗り始めて気付いたが、私の行きつけの所はどこも近く、自転車が一番速いのだ。

 2人の老母がワイフと共に、私の事務所近くのレストランに遊びに来る。平和な春の気配の中、私は建築の設計で飯を食ってるごく普通のオジさんだが、働くにしろ、遊ぶにしろ、日常的に都市に居たいと思っている。多くの人がいるから都市で、多くの人がいるからこそ成立する施設や物があって、秩序や混沌があって、文化があって、高い利便性がある。できればもっと都心に住んでいたいと思うが、色々あってそうも行かない。

 神宮絵画館前の銀杏並木は、秋になれば、黄色く色付いて葉っぱが道路のあちこちを覆う。ウチの女子校裏の道を毎日清掃をするオジサンにとっては難儀な事ではある。自転車通勤者にとっても、枯れ葉が積もっている所は滑りやすいのだが、スピードを落としてゆっくりと、落ち葉の間から路面が見えるところを見つけて通過すればいいだけのこと。自転車に乗っていれば、東京でだってまだまだ自然を通して四季を感じる事ができるのだ。昔いたカンザス大学の校舎を覆うツタの葉が一斉に真っ紅に色づき、わずかに1日か2日で散ってしまう衝撃を思い出す。北米国大陸のど真ん中にある大陸性気候のカンザスの秋は短かかった、真紅に燃え上がった校舎が裸になると猛烈に寒い厳寒の冬が来た。東京の冬はさして寒くはない。自転車に乗っていても全く問題なく通勤できる寒さでしかない。




2010年2月2日火曜日

朝、9時50分の恐怖


 最近、59才のオジサン(私のことです)ですら自転車通勤をするほどに、自転車ブームなんだそうだけど、自転車通勤を始めた本人には、ブーム前の状態は知らないわけで、その自覚はない。しかしながら、今朝、これがブームの本性かと思った。

 私の通勤経路は、渋谷駅前の交差点を迂回するようなコースで、東急デパート本館の脇を通ってゆく。この日の朝、淡島通りが終わる環6との交差点付近から、急に自転車が目に付いてきたのだ。この交差点は淡島通り、環六ともに上り下りの坂の途中にある。特に淡島通りは環六との交差点に向けて下り、交差点を過ぎると登に入る。できればスピードに乗った状態をキープして、通過したい信号ではある。右折左折直進の自転車があって、車の間をぬって走る奴もいる。歩道と車道を勝手に走る自転車が入り乱れ、そこに右側通行の非常識モノが加わり、尋常でない光景が出現していた。普段でも注意が必要なところに、この時は10台近くの自転車がサーカス顔負けのヒヤヒヤ状態で目の前にあった。

 車道には私ともう一台、ブレーキのないピスト・バイクが車と同じ速度で飛ばしている。私は赤信号で止まる体勢でブレーキングするが、ピストは左折れしたいらしく、そのままのスピードで強引に私の前を左折れしてゆく。舗道上の何台かは直進したい者と左折れしたい者がぶつかりそうに先を争っている。そこに信号が青に変わり、直進車は歩道からそのまま直進するために車道に下り、私をかすめ通って行く。環6の左上から右側の歩道上を一台下りて来て急ブレーキで止まった。私は恐怖のあまりスピードが出せず、のんびり走っていたからいいようなモノの、都合5、6台の自転車が、車歩道・右左、入り乱れて私の目前を通過した。ピスト・バイク、ロード・バイク、マウンテン・バイク、ママチャリ、それぞれに跨っているのは20代と思われる若い人ばかりであったが、不思議なくらいぶつかることなくジェットコースター的にコーナーをかわして行った。

 「まいったなー」の印象を抱きながら、私は道交法遵守で左折れし、環6の坂道、車道の左側を上り「渋目の立体交差」下の信号に向かった。この交差点を右に下って行くと東急文化会館脇に出る所だ。右に曲がるわけで、当然のことながら交差点を越えて向こう側で自転車を止め青信号を待つこととなる。が、誰もそんなことはしないのである。右に曲がりたい自転車数台は横断歩道上で止まり、信号が変わるのを待つのだ。信号が変わると一斉に右側の横断歩道を渡り、一方通行の細い右側歩道上を走る。車道の左側を走り始めた私は何なんだ状態。そのウチの何台かは歩道から斜めに車道を走り左側に来る者もいるが、右側車道を突っ走る何台かもいる。途中道幅が狭くなり、一車線の一方通行下りを数台の自転車が左右関係なしに飛ばして下りてゆく。私は恐ろしい状況に唖然としながら左側をついて行くことになる。何なんだよこの状況はと思うまもなく坂下、松濤郵便局前の信号をほぼ全員が信号無視で突っ走る。私が通過する頃には青に変わり、次のドンキホーテ前の大きな三叉路信号の赤信号で止まったが、なんとまー、向こう側こっち側に信号待ちの自転車がうようよいる。スクランブル交差点が青になると、大勢の人が歩き出すと同時に全部の自転車が右左関係なく凄い勢いで、人の波が来る前に自分の行きたい方向に走り出す。これは、もう、冗談じゃない、くらいに恐ろしい状況が展開する。整備不良の壊れ掛かったママチャリに跨るおネーちゃんやマウンテン・バイクのお兄ちゃん、ピストやロード・バイクが入り乱れる。こんな危険な状況は他にないくらいに凄いことになる。

 軽車両としての自転車は、青に変わったスクランブル交差点には進入できないのが本来だが、ゆっくりではあるが、私ですら通過はする。人の歩くスピードが大前提だ。時に下りて押しながら通ることさえある。しかし、10時ちょっと前の遅刻寸前の若い人にはそんなことは通用しない。これで、よく、事故が起きないなーと不思議なくらいに凄まじい光景が展開する。いや、多分接触事故は頻繁に起こっているのだと思う、たまたま私の目の前で起きなかっただけであり、この異様な光景は毎朝見ることができるのだと思う。既に慣れている人にとっては、日常の光景なんだろう。

 この時間、自転車に跨っている人に、スーツ姿の人は無論、小ぎれいな格好の人はいない。私自身も短パンTシャツの小汚いない格好ではある。若い時には、お¥がないのは当たり前のことで、私は別にどういう服装で仕事に向かおうがさして気にする人間ではない。我が家の長女もジーンズにシャツ姿で通勤している。汚れてもいいような服装で自転車通勤する若い人に幸多かれと願うばかりだが、ワーキング・プアにはなって欲しくはないと思う。経済に疎い私ではあるが、使い捨て従業員として安易に若い人を使う企業やお店は渋谷界隈には多いような気がしている。お店の従業員はしょっちゅう変わるし、行きつけの店などで学生アルバイトだけで店を切り盛りしているような所も多い。簡単、安易に収入が得られる事をいいことに、ズルズルと無意味な仕事を続けている不幸が多い世の中ではある。そんな若い人なんだと思わせるような格好で整備もろくにしてないような自転車がほとんどだ。

 そんな中で、例外的にピスト・バイクが腰高に颯爽と道交法違反の、やりたい放題がいる。しかしながら、地味なママチャリに背広姿で右側歩道を走る銀行員らしき男たちよりも、はるかに好感は持てる。私が40才若ければ、間違いなくピストに乗っていた。いいよ、ピスト・バイク乗ってたって。あと10年もすれば、大人社会の、道交法違反どころじゃない魑魅魍魎の汚い世界に巻き込まれるんだから。オイル・ショックやバブル崩壊があって、最近は100年一度の金融恐慌で景気は最悪なんだけどね。我関せずの若いお兄さんに一言いうけどさ、金融工学駆使して「お金儲けは悪いことですか」なんて言いながら、堂々と経済犯罪を犯すような守銭奴だけにはならないでね。今の大人社会なんて、スクランブル交差点のめちゃくちゃどこの騒ぎじゃないんだから。時代は病んでんのよ。政治・経済・福祉に教育、全て身勝手な大人たちの、やりたい放題なんだから。経済とか金融とかの世界でね、金儲けのことしか考えてないのよ。

 今後、あなた方若き一般社会人が、平和に楽しく安心して生活できる保障なんか、どこにもないんだからね。これからも、ずーっとピスト・バイク乗り続けてくれれば、少しは社会が良くなるから、お願いね。ただし、もう少し道交法、守ってくれる。オジサンも安心して走りたいのよ。その辺も、ヨロシク。