ある日曜日のお昼前、雨が上がるのを待って、ゆっくり家を出た。家の前の女子校の文化祭と近所の八幡様のお祭りとで、路上には人が多かった。ゆっくりと走り始め、チョッと言ったところで子供の担ぐ御神輿を見たが、その屋根のテッペンにいる鳳凰に元気がなかった。単なる真鍮製の鶏みたいで、動きがイマイチなのだ。担いでいる子供たちも、そろいの浴衣やハッピなどは着ていないし、遠巻きに見ている大人たちもちらほらで、普段着姿でお祭りの格好ではない。まるで盛り上がりに欠け、さして楽しいそうには見えなかった。その後、事務所に着くまでの約30分の間に、なんと同じような沈んだ御神輿を3機も見た。
自転車通勤は、街と街の境界を越えて走る。電車を利用しての移動だと、点としての駅を渡る移動ではあるが、自転車だと点が点在する面上を移動していることとなり、街と街が繋がっていることが実感できる。だから、9月の下旬に集中する秋のお祭りに連続して出くわしたりする。子供たちが担ぐ御神輿は美しいとは思うが、私が子どもの頃はみんなおそろいの浴衣を着て担いでいた。毎年この時期に新しいお祭りの浴衣ができて、去年までのパジャマ代わりに着せられていた寝間着が新しくなる程度の浴衣ではあった。最近はみな普段着で、そろいの浴衣を着ているのは、商店街のオジサンばかり。昼間から酒食らって赤ら顔なんていうのもないし、見て、何だか、面白くない。神田や浅草の荒っぽいお祭りの興奮なんて全くないモン。まー規模が違うと言えば違うんだけど、私が生まれ育った代々木上原のお祭りの盛り上がりとは随分かけ離れてる感じがした。
まー半世紀近くも昔のことで、テレビがようやく各家庭に入り込んできた頃ではある。コンピュータ・ゲームなど想像すらできない時代だし、子供たちの遊びもベーゴマや剣玉、ボード・ゲームや三角野球、程度だったもんなー。毎月のお小遣いとは別にお小遣いもらって、おそろいの浴衣着て、八幡様に綿飴や金魚すくい目当てに行くのは、結構楽しみだったような気がする。たまに出かける都心のデパートの屋上も面白かったけど。そんな時代に友達同士みんなで御神輿担ぐのは面白かった。大きい声張り上げて、勝手知ったる町内を回って、郵便局のオヤジとか畳屋のオヤジなんかがいつになく頑張っちゃってるし、一回りするとおむすびと三ツ矢サイダーくれたのよ。
今の時代は、毎日がお正月みたいなテレビやってるし、TVゲームやサッカーにしか興味がないのか、塾の事しか頭にないのか、自分と自分が住む街との繋がりがないのね。私の通勤ルートは世田谷区と渋谷区がメインで一部目黒区を通過するけど、いずれの区も住宅が多い所で、戸建てとマンションが混在している山の手と言われるところだ。昔と違って向こう三軒両隣の、街の最小単位のお付き合いはなくなっちゃってる住宅街だ。街に対する愛着やふるさと意識も希薄なんだと思う。夫婦共働きの核家族で、近隣に住む人とのお付き合いはなく、自分の住む街のコミュニティーを意識しての生活ではないのだ。街の商店街での買い物ではなく、大型スーパーでの買い物で、店先での顔見知りはいなくなり、潤いがなくなってきている。こんな状況でのお祭りでは、盛り上がれつったって盛り上がらないでしょうね。子供たちも無理して担いでるみたいだし、街中を一回りして三ツ矢サイダーでは喜ばないわけで、何か違うご褒美でもあるのかしら。
自転車の車上から見る御神輿は、なんとなく悲しい。御神輿を英語に訳すとPortable Shurine(ポータブル・シュライン)と言う。言い得て妙である。誰が英訳したのか知らないが絶妙ではある。御神輿とは、持ち運びできる神社との解釈で、御神輿の輿とは乗り物の意味だ。神を乗せて運ぶ社屋であり、建築である。日本建築の神髄である屋根の建築だ。御神輿はいかに屋根を美しく見せるかがそのテーマで造られているように思う。屋根だけの抽象化された建築であって、木組みを駆使して社(やしろ)空間を小さく造っている。屋根は方形(ほうぎょう)と言われる形で、とんがり屋根の中心に鳳凰を乗せている。
私の自転車通勤ルートには駅前商店街はないが、たまに色々なところの商店街を通ることはある。どこも何となく元気がない。大きなスーパーで、店の人との会話もなく、マニアル通りの妙なお辞儀をされての買い物に慣れてしまった。昔は良かった、などとは決して思わないが、店先での呼び声は面白かったし、店側とお客との何気ない一言二言は商品に関する知識として参考にもなった。見慣れたおトクイさんとはそれなりの会話があったし、時に家族の心配や気遣いの言葉もあったのだ。自転車通勤していれば、昔のコミュニティーが戻ってくるとは思わないが、建築家としては、街やマンションなどの人付き合いの度合いは気になる。集合住宅の設計はディベロッパーなどの思惑が原因して、姉歯のような奴にしかその設計のチャンスはないのだが、まともな建築家であれば、今のままでいいとは、誰も思っていない。不特定多数の見ず知らずの人が、一つ屋根の下で暮らす集合住宅の設計は、建築家の力量が問われる難しい設計と言える。もっとまともに設計すれば、住人同士のコミュニティーや街のコミュニティーもいい形で再生できるはずだ。
などと、ここで愚痴ったところで何も生まれないが、街のお祭りで、もっと子供たちが生き生きして御神輿を担ぎ、上の鳳凰に息吹を与えられるような地域コミュニティーはあって欲しいと思う。御神輿のトンガリ屋根にのる鳳凰が担ぎ手たちのリズムに合わせて美しく舞う姿が見たい。