私は賃貸派建築家とも言われ、住まいは常に賃貸だった。無論、都心近くに土地をもって自分が設計した戸建ての住宅に住まう事への執着はある。しかしながら、経済的状況がそれを許さないわけで、一般勤労者の一人でしかない私には、東京で土地と家を入手するのは困難、不可能なことではある。だからといって、各種の事情から、分譲マンションを買う気にもなれないで、できるだけ都心近くに賃貸のマンションを借り住んでいた。今も世田谷には住んでいるが、色々合って戸建ての住宅に部屋代払って生活している。都心近くにいたせいか自転車通勤にさしたる不安も抱かず始めたが、3年以上続けていると、都心で自転車と共に生活することの利便性を実感を伴って感じることができる。
幸か不幸か、私の結婚記念日と義父の命日が同じ日で、私の老母の誕生日も近い3月の下旬、既に恒例行事となっている年に一回の、神宮絵画館前の銀杏並木にあるレストランで、ワイフと私、それぞれの老母2人も呼んで、4人で3時のお茶を楽しむことになっている。屋外のテーブルに座り、もうすぐサクラがグーチョキパーなんていいながら、春だなーの感じをみんなで楽しむのだ。私の事務所からは自転車で数分、ワイフが2人の老母を車で連れてくる。ダウンのコートがほとんど消えた街には、春の明るい日差しが眩しい時期で、屋外でのお茶とケーキを楽しめる。
都心近くに住まうことの大きなメリットがここにある。屋外テラスにテーブルを持ち出せるような、人が集まっているから成立している都市の施設を十分に利用できるメリットだ。大きな病院もいくらでもあるし、教育、福祉、文化に関わる施設も多い。都市東京は大きくなり過ぎてしまって、一般勤労世帯の多くは通勤時間1時間以上の所にある。都心で働いている人の昼休みに、家族が訪ねるようなことは皆無だ。実は諸外国では多々あることで、同僚スタッフの奥さんや子供たちがオフィースの中をウロチョロしているのは珍しいことではない。
アメリカに長く生活していたが、都市に住む人に向けての夜が長かった。芝居やコンサートなどの開演時間が9時なんて事もあった。日本では先ず無理である。終演が11時近くになると電車で帰宅できなくなる。今の東京では、郊外のベッドタウンに住んでる人は、面倒臭いこともあるのだろうが、週日の夜に芝居などのステージを見に来るような事はない。それは、遠いいからで、近くにあれば、必ず利用するはずだ。夫婦2人でミュージカルやジャズのコンサートを、夜、楽しめる時間があるのだ。
米国の子供たちは、父親の職場がどんなモノなのかを知っている。自分のオヤジがどんなところで、どんな仕事をしているのかを見ている。しかし、日本のほとんどの子供たちは、自分のオヤジの職場を知らないでいる。これって、何か、変だと感じしません? 今の日本の子供たちは父親の働く姿を見ないんですから。
都心近くに住んでいれば、自転車でどこへでも行ける。子供も大人も、誰でも自転車で行ける。東京が大きくなったと言っても自転車に跨れば、直ぐだ。山手線内であれば、真ん中の皇居あたりから30分ほどで何処へでも行けちゃう。私の表参道の事務所から銀座までは30分も掛からない。赤坂や六本木なんて、ホント、直ぐ。仕事の関係で神田、お茶の水界隈、田町や品川方面に出かけることも多いが、自転車に乗り始めて気付いたが、私の行きつけの所はどこも近く、自転車が一番速いのだ。
2人の老母がワイフと共に、私の事務所近くのレストランに遊びに来る。平和な春の気配の中、私は建築の設計で飯を食ってるごく普通のオジさんだが、働くにしろ、遊ぶにしろ、日常的に都市に居たいと思っている。多くの人がいるから都市で、多くの人がいるからこそ成立する施設や物があって、秩序や混沌があって、文化があって、高い利便性がある。できればもっと都心に住んでいたいと思うが、色々あってそうも行かない。
神宮絵画館前の銀杏並木は、秋になれば、黄色く色付いて葉っぱが道路のあちこちを覆う。ウチの女子校裏の道を毎日清掃をするオジサンにとっては難儀な事ではある。自転車通勤者にとっても、枯れ葉が積もっている所は滑りやすいのだが、スピードを落としてゆっくりと、落ち葉の間から路面が見えるところを見つけて通過すればいいだけのこと。自転車に乗っていれば、東京でだってまだまだ自然を通して四季を感じる事ができるのだ。昔いたカンザス大学の校舎を覆うツタの葉が一斉に真っ紅に色づき、わずかに1日か2日で散ってしまう衝撃を思い出す。北米国大陸のど真ん中にある大陸性気候のカンザスの秋は短かかった、真紅に燃え上がった校舎が裸になると猛烈に寒い厳寒の冬が来た。東京の冬はさして寒くはない。自転車に乗っていても全く問題なく通勤できる寒さでしかない。