2010年2月9日火曜日

都市の住まいと自転車


 私は賃貸派建築家とも言われ、住まいは常に賃貸だった。無論、都心近くに土地をもって自分が設計した戸建ての住宅に住まう事への執着はある。しかしながら、経済的状況がそれを許さないわけで、一般勤労者の一人でしかない私には、東京で土地と家を入手するのは困難、不可能なことではある。だからといって、各種の事情から、分譲マンションを買う気にもなれないで、できるだけ都心近くに賃貸のマンションを借り住んでいた。今も世田谷には住んでいるが、色々合って戸建ての住宅に部屋代払って生活している。都心近くにいたせいか自転車通勤にさしたる不安も抱かず始めたが、3年以上続けていると、都心で自転車と共に生活することの利便性を実感を伴って感じることができる。

 幸か不幸か、私の結婚記念日と義父の命日が同じ日で、私の老母の誕生日も近い3月の下旬、既に恒例行事となっている年に一回の、神宮絵画館前の銀杏並木にあるレストランで、ワイフと私、それぞれの老母2人も呼んで、4人で3時のお茶を楽しむことになっている。屋外のテーブルに座り、もうすぐサクラがグーチョキパーなんていいながら、春だなーの感じをみんなで楽しむのだ。私の事務所からは自転車で数分、ワイフが2人の老母を車で連れてくる。ダウンのコートがほとんど消えた街には、春の明るい日差しが眩しい時期で、屋外でのお茶とケーキを楽しめる。

 都心近くに住まうことの大きなメリットがここにある。屋外テラスにテーブルを持ち出せるような、人が集まっているから成立している都市の施設を十分に利用できるメリットだ。大きな病院もいくらでもあるし、教育、福祉、文化に関わる施設も多い。都市東京は大きくなり過ぎてしまって、一般勤労世帯の多くは通勤時間1時間以上の所にある。都心で働いている人の昼休みに、家族が訪ねるようなことは皆無だ。実は諸外国では多々あることで、同僚スタッフの奥さんや子供たちがオフィースの中をウロチョロしているのは珍しいことではない。

 アメリカに長く生活していたが、都市に住む人に向けての夜が長かった。芝居やコンサートなどの開演時間が9時なんて事もあった。日本では先ず無理である。終演が11時近くになると電車で帰宅できなくなる。今の東京では、郊外のベッドタウンに住んでる人は、面倒臭いこともあるのだろうが、週日の夜に芝居などのステージを見に来るような事はない。それは、遠いいからで、近くにあれば、必ず利用するはずだ。夫婦2人でミュージカルやジャズのコンサートを、夜、楽しめる時間があるのだ。

 米国の子供たちは、父親の職場がどんなモノなのかを知っている。自分のオヤジがどんなところで、どんな仕事をしているのかを見ている。しかし、日本のほとんどの子供たちは、自分のオヤジの職場を知らないでいる。これって、何か、変だと感じしません? 今の日本の子供たちは父親の働く姿を見ないんですから。

 都心近くに住んでいれば、自転車でどこへでも行ける。子供も大人も、誰でも自転車で行ける。東京が大きくなったと言っても自転車に跨れば、直ぐだ。山手線内であれば、真ん中の皇居あたりから30分ほどで何処へでも行けちゃう。私の表参道の事務所から銀座までは30分も掛からない。赤坂や六本木なんて、ホント、直ぐ。仕事の関係で神田、お茶の水界隈、田町や品川方面に出かけることも多いが、自転車に乗り始めて気付いたが、私の行きつけの所はどこも近く、自転車が一番速いのだ。

 2人の老母がワイフと共に、私の事務所近くのレストランに遊びに来る。平和な春の気配の中、私は建築の設計で飯を食ってるごく普通のオジさんだが、働くにしろ、遊ぶにしろ、日常的に都市に居たいと思っている。多くの人がいるから都市で、多くの人がいるからこそ成立する施設や物があって、秩序や混沌があって、文化があって、高い利便性がある。できればもっと都心に住んでいたいと思うが、色々あってそうも行かない。

 神宮絵画館前の銀杏並木は、秋になれば、黄色く色付いて葉っぱが道路のあちこちを覆う。ウチの女子校裏の道を毎日清掃をするオジサンにとっては難儀な事ではある。自転車通勤者にとっても、枯れ葉が積もっている所は滑りやすいのだが、スピードを落としてゆっくりと、落ち葉の間から路面が見えるところを見つけて通過すればいいだけのこと。自転車に乗っていれば、東京でだってまだまだ自然を通して四季を感じる事ができるのだ。昔いたカンザス大学の校舎を覆うツタの葉が一斉に真っ紅に色づき、わずかに1日か2日で散ってしまう衝撃を思い出す。北米国大陸のど真ん中にある大陸性気候のカンザスの秋は短かかった、真紅に燃え上がった校舎が裸になると猛烈に寒い厳寒の冬が来た。東京の冬はさして寒くはない。自転車に乗っていても全く問題なく通勤できる寒さでしかない。




2010年2月2日火曜日

朝、9時50分の恐怖


 最近、59才のオジサン(私のことです)ですら自転車通勤をするほどに、自転車ブームなんだそうだけど、自転車通勤を始めた本人には、ブーム前の状態は知らないわけで、その自覚はない。しかしながら、今朝、これがブームの本性かと思った。

 私の通勤経路は、渋谷駅前の交差点を迂回するようなコースで、東急デパート本館の脇を通ってゆく。この日の朝、淡島通りが終わる環6との交差点付近から、急に自転車が目に付いてきたのだ。この交差点は淡島通り、環六ともに上り下りの坂の途中にある。特に淡島通りは環六との交差点に向けて下り、交差点を過ぎると登に入る。できればスピードに乗った状態をキープして、通過したい信号ではある。右折左折直進の自転車があって、車の間をぬって走る奴もいる。歩道と車道を勝手に走る自転車が入り乱れ、そこに右側通行の非常識モノが加わり、尋常でない光景が出現していた。普段でも注意が必要なところに、この時は10台近くの自転車がサーカス顔負けのヒヤヒヤ状態で目の前にあった。

 車道には私ともう一台、ブレーキのないピスト・バイクが車と同じ速度で飛ばしている。私は赤信号で止まる体勢でブレーキングするが、ピストは左折れしたいらしく、そのままのスピードで強引に私の前を左折れしてゆく。舗道上の何台かは直進したい者と左折れしたい者がぶつかりそうに先を争っている。そこに信号が青に変わり、直進車は歩道からそのまま直進するために車道に下り、私をかすめ通って行く。環6の左上から右側の歩道上を一台下りて来て急ブレーキで止まった。私は恐怖のあまりスピードが出せず、のんびり走っていたからいいようなモノの、都合5、6台の自転車が、車歩道・右左、入り乱れて私の目前を通過した。ピスト・バイク、ロード・バイク、マウンテン・バイク、ママチャリ、それぞれに跨っているのは20代と思われる若い人ばかりであったが、不思議なくらいぶつかることなくジェットコースター的にコーナーをかわして行った。

 「まいったなー」の印象を抱きながら、私は道交法遵守で左折れし、環6の坂道、車道の左側を上り「渋目の立体交差」下の信号に向かった。この交差点を右に下って行くと東急文化会館脇に出る所だ。右に曲がるわけで、当然のことながら交差点を越えて向こう側で自転車を止め青信号を待つこととなる。が、誰もそんなことはしないのである。右に曲がりたい自転車数台は横断歩道上で止まり、信号が変わるのを待つのだ。信号が変わると一斉に右側の横断歩道を渡り、一方通行の細い右側歩道上を走る。車道の左側を走り始めた私は何なんだ状態。そのウチの何台かは歩道から斜めに車道を走り左側に来る者もいるが、右側車道を突っ走る何台かもいる。途中道幅が狭くなり、一車線の一方通行下りを数台の自転車が左右関係なしに飛ばして下りてゆく。私は恐ろしい状況に唖然としながら左側をついて行くことになる。何なんだよこの状況はと思うまもなく坂下、松濤郵便局前の信号をほぼ全員が信号無視で突っ走る。私が通過する頃には青に変わり、次のドンキホーテ前の大きな三叉路信号の赤信号で止まったが、なんとまー、向こう側こっち側に信号待ちの自転車がうようよいる。スクランブル交差点が青になると、大勢の人が歩き出すと同時に全部の自転車が右左関係なく凄い勢いで、人の波が来る前に自分の行きたい方向に走り出す。これは、もう、冗談じゃない、くらいに恐ろしい状況が展開する。整備不良の壊れ掛かったママチャリに跨るおネーちゃんやマウンテン・バイクのお兄ちゃん、ピストやロード・バイクが入り乱れる。こんな危険な状況は他にないくらいに凄いことになる。

 軽車両としての自転車は、青に変わったスクランブル交差点には進入できないのが本来だが、ゆっくりではあるが、私ですら通過はする。人の歩くスピードが大前提だ。時に下りて押しながら通ることさえある。しかし、10時ちょっと前の遅刻寸前の若い人にはそんなことは通用しない。これで、よく、事故が起きないなーと不思議なくらいに凄まじい光景が展開する。いや、多分接触事故は頻繁に起こっているのだと思う、たまたま私の目の前で起きなかっただけであり、この異様な光景は毎朝見ることができるのだと思う。既に慣れている人にとっては、日常の光景なんだろう。

 この時間、自転車に跨っている人に、スーツ姿の人は無論、小ぎれいな格好の人はいない。私自身も短パンTシャツの小汚いない格好ではある。若い時には、お¥がないのは当たり前のことで、私は別にどういう服装で仕事に向かおうがさして気にする人間ではない。我が家の長女もジーンズにシャツ姿で通勤している。汚れてもいいような服装で自転車通勤する若い人に幸多かれと願うばかりだが、ワーキング・プアにはなって欲しくはないと思う。経済に疎い私ではあるが、使い捨て従業員として安易に若い人を使う企業やお店は渋谷界隈には多いような気がしている。お店の従業員はしょっちゅう変わるし、行きつけの店などで学生アルバイトだけで店を切り盛りしているような所も多い。簡単、安易に収入が得られる事をいいことに、ズルズルと無意味な仕事を続けている不幸が多い世の中ではある。そんな若い人なんだと思わせるような格好で整備もろくにしてないような自転車がほとんどだ。

 そんな中で、例外的にピスト・バイクが腰高に颯爽と道交法違反の、やりたい放題がいる。しかしながら、地味なママチャリに背広姿で右側歩道を走る銀行員らしき男たちよりも、はるかに好感は持てる。私が40才若ければ、間違いなくピストに乗っていた。いいよ、ピスト・バイク乗ってたって。あと10年もすれば、大人社会の、道交法違反どころじゃない魑魅魍魎の汚い世界に巻き込まれるんだから。オイル・ショックやバブル崩壊があって、最近は100年一度の金融恐慌で景気は最悪なんだけどね。我関せずの若いお兄さんに一言いうけどさ、金融工学駆使して「お金儲けは悪いことですか」なんて言いながら、堂々と経済犯罪を犯すような守銭奴だけにはならないでね。今の大人社会なんて、スクランブル交差点のめちゃくちゃどこの騒ぎじゃないんだから。時代は病んでんのよ。政治・経済・福祉に教育、全て身勝手な大人たちの、やりたい放題なんだから。経済とか金融とかの世界でね、金儲けのことしか考えてないのよ。

 今後、あなた方若き一般社会人が、平和に楽しく安心して生活できる保障なんか、どこにもないんだからね。これからも、ずーっとピスト・バイク乗り続けてくれれば、少しは社会が良くなるから、お願いね。ただし、もう少し道交法、守ってくれる。オジサンも安心して走りたいのよ。その辺も、ヨロシク。




2010年1月23日土曜日

御神輿3機



 ある日曜日のお昼前、雨が上がるのを待って、ゆっくり家を出た。家の前の女子校の文化祭と近所の八幡様のお祭りとで、路上には人が多かった。ゆっくりと走り始め、チョッと言ったところで子供の担ぐ御神輿を見たが、その屋根のテッペンにいる鳳凰に元気がなかった。単なる真鍮製の鶏みたいで、動きがイマイチなのだ。担いでいる子供たちも、そろいの浴衣やハッピなどは着ていないし、遠巻きに見ている大人たちもちらほらで、普段着姿でお祭りの格好ではない。まるで盛り上がりに欠け、さして楽しいそうには見えなかった。その後、事務所に着くまでの約30分の間に、なんと同じような沈んだ御神輿を3機も見た。

 自転車通勤は、街と街の境界を越えて走る。電車を利用しての移動だと、点としての駅を渡る移動ではあるが、自転車だと点が点在する面上を移動していることとなり、街と街が繋がっていることが実感できる。だから、9月の下旬に集中する秋のお祭りに連続して出くわしたりする。子供たちが担ぐ御神輿は美しいとは思うが、私が子どもの頃はみんなおそろいの浴衣を着て担いでいた。毎年この時期に新しいお祭りの浴衣ができて、去年までのパジャマ代わりに着せられていた寝間着が新しくなる程度の浴衣ではあった。最近はみな普段着で、そろいの浴衣を着ているのは、商店街のオジサンばかり。昼間から酒食らって赤ら顔なんていうのもないし、見て、何だか、面白くない。神田や浅草の荒っぽいお祭りの興奮なんて全くないモン。まー規模が違うと言えば違うんだけど、私が生まれ育った代々木上原のお祭りの盛り上がりとは随分かけ離れてる感じがした。

 まー半世紀近くも昔のことで、テレビがようやく各家庭に入り込んできた頃ではある。コンピュータ・ゲームなど想像すらできない時代だし、子供たちの遊びもベーゴマや剣玉、ボード・ゲームや三角野球、程度だったもんなー。毎月のお小遣いとは別にお小遣いもらって、おそろいの浴衣着て、八幡様に綿飴や金魚すくい目当てに行くのは、結構楽しみだったような気がする。たまに出かける都心のデパートの屋上も面白かったけど。そんな時代に友達同士みんなで御神輿担ぐのは面白かった。大きい声張り上げて、勝手知ったる町内を回って、郵便局のオヤジとか畳屋のオヤジなんかがいつになく頑張っちゃってるし、一回りするとおむすびと三ツ矢サイダーくれたのよ。

 今の時代は、毎日がお正月みたいなテレビやってるし、TVゲームやサッカーにしか興味がないのか、塾の事しか頭にないのか、自分と自分が住む街との繋がりがないのね。私の通勤ルートは世田谷区と渋谷区がメインで一部目黒区を通過するけど、いずれの区も住宅が多い所で、戸建てとマンションが混在している山の手と言われるところだ。昔と違って向こう三軒両隣の、街の最小単位のお付き合いはなくなっちゃってる住宅街だ。街に対する愛着やふるさと意識も希薄なんだと思う。夫婦共働きの核家族で、近隣に住む人とのお付き合いはなく、自分の住む街のコミュニティーを意識しての生活ではないのだ。街の商店街での買い物ではなく、大型スーパーでの買い物で、店先での顔見知りはいなくなり、潤いがなくなってきている。こんな状況でのお祭りでは、盛り上がれつったって盛り上がらないでしょうね。子供たちも無理して担いでるみたいだし、街中を一回りして三ツ矢サイダーでは喜ばないわけで、何か違うご褒美でもあるのかしら。

 自転車の車上から見る御神輿は、なんとなく悲しい。御神輿を英語に訳すとPortable Shurine(ポータブル・シュライン)と言う。言い得て妙である。誰が英訳したのか知らないが絶妙ではある。御神輿とは、持ち運びできる神社との解釈で、御神輿の輿とは乗り物の意味だ。神を乗せて運ぶ社屋であり、建築である。日本建築の神髄である屋根の建築だ。御神輿はいかに屋根を美しく見せるかがそのテーマで造られているように思う。屋根だけの抽象化された建築であって、木組みを駆使して社(やしろ)空間を小さく造っている。屋根は方形(ほうぎょう)と言われる形で、とんがり屋根の中心に鳳凰を乗せている。

 私の自転車通勤ルートには駅前商店街はないが、たまに色々なところの商店街を通ることはある。どこも何となく元気がない。大きなスーパーで、店の人との会話もなく、マニアル通りの妙なお辞儀をされての買い物に慣れてしまった。昔は良かった、などとは決して思わないが、店先での呼び声は面白かったし、店側とお客との何気ない一言二言は商品に関する知識として参考にもなった。見慣れたおトクイさんとはそれなりの会話があったし、時に家族の心配や気遣いの言葉もあったのだ。自転車通勤していれば、昔のコミュニティーが戻ってくるとは思わないが、建築家としては、街やマンションなどの人付き合いの度合いは気になる。集合住宅の設計はディベロッパーなどの思惑が原因して、姉歯のような奴にしかその設計のチャンスはないのだが、まともな建築家であれば、今のままでいいとは、誰も思っていない。不特定多数の見ず知らずの人が、一つ屋根の下で暮らす集合住宅の設計は、建築家の力量が問われる難しい設計と言える。もっとまともに設計すれば、住人同士のコミュニティーや街のコミュニティーもいい形で再生できるはずだ。

 などと、ここで愚痴ったところで何も生まれないが、街のお祭りで、もっと子供たちが生き生きして御神輿を担ぎ、上の鳳凰に息吹を与えられるような地域コミュニティーはあって欲しいと思う。御神輿のトンガリ屋根にのる鳳凰が担ぎ手たちのリズムに合わせて美しく舞う姿が見たい。

2010年1月16日土曜日

ロード・バイクの値段


 坂道の登り、乳母車のような手押し車を押すお婆さんがいた。大業そうに両手を突っ張って小さな歩を進めている。足下の黒いゴム製の小さな靴が目に入った。貧相な出で立ちに貧素な靴なのだが、私には見たことのないような古い靴で、履き心地はけっして良さそうには思えなかった。たとえ履き心地は悪くても、お婆さんに取っては慣れ親しんだ靴で、十分心地よく履けるのかも知れないとも思った。

 靴に求められる機能はそれなりに沢山ある。雨や雪が降るときには長靴がいいし、通勤の時にはそれなりにスーツに合う、落ち着いた履き心地のいい物が欲しい。結婚式やお葬式の時にはそれなりの礼服用の靴を履くのが礼儀だろう。実用的な機能と情報的機能の二つの機能を満たす履き心地のいいモノが欲しいとなると、複数必要だし、それぞれに金額もかさむ。お洒落心とはお金がかかるモノではある。

 普段履きというか、家の近所へのお買い物や休日の昼間、ラーメンなんかを食べに行く時には何も気にせず、どんな靴でもさして気にはならない。一方、オリンピックの短距離やマラソンのランナーの靴は、スポンサーの靴屋さんが総力を挙げて制作するもの凄いモノらしい。ミリ単位やグラム単位で調整された、その選手だけのための特注品で、トラックや路面の状況でソールの材質や厚みなども変わり、履いていると言う感触すらないような靴で、ただただ記録を伸ばすためのモノだと言う。そんな桁違いに凄い靴でも、私の安物の靴でも、靴は靴であり、歩くだけのためなら何ら支障はない、とも言える。

 自転車だって同じ事だ。オリンピックに出場するような競技用の自転車を市販すれば「一億近い金額になっちゃうかも」とのコメントを聞いたことがある。駅前で雨ざらしで放置されているママチャリは一万円前後だ。ツールド・フランスなんかで走る自転車にも値段は付かないと思う。市販されているそのクラスのロード・レーサーだと軽く百万は超えているので、本体としては、2,3百万くらいか1千万を超えるのか、良く判らない。わたしの知識外の所であり、自転車を維持管理するのに必要な経費や人件費などを含めれば、きっと値段は付けられないようなものが走っているのだと思う。自転車も、靴と同じようにピンキリだということ。タダに近い金額から信じられないような金額までと言うことだ。住宅や別荘の建設コストも同じようなことが言えないことはない。特に別荘などの建設コストについては住宅と違って、幅が広く設計前の予算立ての時にはよく相談を持ちかけられるのであるが、自分が使う建物としての値頃はだいたいの所ではあるが、あるにはある。

 で、私の感じでは通勤に使う自転車の金額の目安は、自分が通勤に履いている靴の10足分くらいの金額がいいんじゃないかと勝手に考えている。今、おいくら万円の靴はいてます? それの10足分くらいの自転車を買うのが、身の丈に合っていると思う。毎朝、仕事場に跨ってゆく自転車で、ケチるとろくな事はないし、常識的な金額は?と問われればの話ではある。え、10万円の靴はいてるんですか。じゃー100万円の自転車がアナタに相応しい自転車ですね。いくらでもありますよ、100万を超えるような自転車。

 凄い高そうな自転車だけど、幾らしたの? ね、幾らなのよ、この自転車、と実にまー品のないことを尋ねてくる人がいる。幾らだっていいじゃないの。こういう人は、何でもかんでもそのモノの値段を聞いてくる。全ての物を金額という尺度でしか測れないかわいそうな人で、モノの本質が判らない貧素な人だ。

 とある陶芸家の窯元を訪ねたことがあった。その方の焼く陶器や陶板は何故か私の気持ちを強烈に引いていた。見て直ぐに、いいと思えるモノばかりで、一つのある白い皿は、アイスクリームから肉じゃがまで、何を盛りつけてもその味を数倍良くしてくれるモノだと思った。 

 その作家に、土の値段を聞いた人がいた。一袋何キロ入って幾らなのかを問うていた。何でそんなこと聞くんだろうと疑問ではあったのだが、帰路の車中で、作品の原価を計算し高いか安いかの判断をしていたことを知った。私は、呆れかえって言葉も出なかったことを思い出す。この人は、上場会社の社長クラスの人であり、陶芸家はイタリアの著名なコンテストで銀獅子賞を受けた方である。

 全く彩度のない壺があった。見ていると全ての色がそこにあるようにも見え、不思議なオーラを放っていた。主張のある黒に近いグレーで、理数的なストレートな六角柱、茶筒のように上三分の一は蓋になっている。土から練り上げた素材感を残すテクスチャーが陶器であることを示していた。六角柱の側面は、磨き上げられた鏡面の仕上げと、焼いたままの粗雑な肌が交互に3面ずつある。手作りの為なのか、焼いたときの温度誤差なのか、若干の歪みが人の手による作品であることを伝えていた。蓋の上部は凸面レンズのような曲面を持ち、鏡面に仕上げられ、磨き上げられた側面と共に天井の蛍光灯を冷たく反射していた。荒く仕上げられている面は光を吸収し、焼き上がったときの偶然を期待して作られた作品ではなく、当初より計算された形がそこにあり、他にはない斬新を感じた。陶芸の作品とは古さや伝統ばかりを強調するモノだと思っていた誤解を払拭させられ、未来を表現した作品にも思え、私は、意外な驚きを感じたのだ。凄いと思った。金額は幾らでもいいので、欲しいとさえ思ったのだ。陶器からここまでの感動を得たことはなかった。

 そんな芸術とも言える作品の、原価を計算し高いか安いかの判断を下そうとしていた人は、100万を超える自転車に魅力を感じることはない。たとえ10万以上の靴を履いていても、自転車に100万は出さないだろう。足腰の弱ったお婆さんがゆっくり手押し車を押すときに、お婆さんにとっては慣れ親しんだゴムの古い靴を見て、新しい靴を売りつけようとする淋しい考えしか持ち得ない人だとも思う。オリンピック選手の靴につぎ込まれたノウハウをきちんと評価できる人ではない。100万を超える自転車、いいじゃない、どんな乗り心地なのか、一度は乗ってみたいわさ。



2010年1月7日木曜日

右側通行は違反です


 最近は、右側通行の自転車と出くわしても注意することは、殆どなくなった。じっと睨み付けるだけにしている。しかし、たまに白い自転車のお巡りさんが、右側の歩道を走ってくるのに出くわすと、思いっきり注意する。たいていのお巡りさんは「すいませんでした」と低姿勢だが、時に私の「お巡りさん!」の呼びかけを無視してそのまま走り去る警官もいる。ある時は「そこの信号が故障してると言うので、急いでました」との賜った。お巡りさんは、急いでいるときには道路交通法を無視してもいいのかと思わず怒鳴ってしまった。右側の歩道を白い自転車が走ってくるのを見ると、私は、キレる。

 ある時、私を追い抜いていったお巡りさんに、思いっきり怒鳴った。それは、渋谷の繁華街を抜けて事務所の近くの住宅街でのことだ。緩い坂道の左側をのんびりのぼっていたとき、一人の警官が右側を走りながら、私を追い抜いて行ったのだ。左側を走る私を追い抜くには道路中心近くを走れば済むことであり、右側を走行する必要はないほどの十分な巾のある道路で、車もそこそこに通る道ではある。時に向い側から自転車さえ下りてくるのだ。追い越したその警官は左側に進路を変更することなく右側を走ったままでいた。私は、このときも、この野郎と瞬間的にキレた。軽車両に乗る道路交通法違反を注意する立場の警察官が、警察車輌である白い自転車に制服姿で乗って、堂々と違反行為を行っているのは、許せない。昔から、権力の持つ暴力や不正には断固とした態度で臨んでいる全共闘世代としては、見過ごすわけにはいかないのだ。

 「こらー、何を右側走ってんの!」とかました。奴は自転車を止めようとはしなかった。そのまま2台で併走するような形になり。「アナタは注意する立場だろ。ちゃんと左側走れ」と続けたが、相手は無言のままスピードを落としただけで、その内右に曲がっていった。私はそのまま走り、事務所のそばまで来たら。なんと白い自転車に乗った警察官がもう1人、自転車を降りてなにやらビルの上の方を見ている。なんだろう、と思いながら通過しようとゆっくり行くと、一人の警官が急に右側の路地から出てきて、ぶつかりそうではなかったが妙な止まり方をした。さっき怒鳴った奴のようで私から視線をそらした。多分、事務所のそばで何かあったんだな、と感じた。現場に急行する必要があったんでしょう。だからといって違反走行してもイイ、などと言うことは、絶対にない。私が自分の自転車を担いで事務所のある2階の部屋に行くべく、外部階段を上っていると、感じ悪くも、二人して下から見てた。ウチのビルでの事件・事故ではないらしいけど、近所で何かあったことは間違いなさそうではあった。

 私は、右折する信号で前の車にくっついてそのまま右折するという道交法違反をしたことがある。曲がった先にいたお巡りさんに思いっきり大きな声で怒鳴られ、止められた。今の警官はここまで失礼な言い方するんだの印象で、こっぴどく注意を受けた。いいですよ、私が悪いんだから。注意は甘んじて受け、今後そのような走りはしないと約束し、放免してもらった。右側の歩道を歩く速さ以上の速度で自転車に乗るお巡りさん、冗談、じゃ、ねーよ。事故ったときにはどういう説明をしてくれるんだよ。アンタら、きちんと自転車の乗り方について講習受けて、駐在所勤務してんじゃ、ねーのかよ、と、大きな声で言いたい。

 春と秋だったと思うが、全国交通安全週間と呼ばれる時期がある。車に良く乗っていた時期には警官ばかりが目に付き、実に走りにくかった時期ではあった。チョッとした交差点には警官や白バイが張り付き、いつも以上に気を使いちっとも安全に走れなかったような記憶がある。未だに死亡事故ゼロを目指して全国交通安全週間が行われているが、自転車での右側通行を注意する警察官は、いない。なんで!? 大きな交差点で右側の横断歩道を渡るために自転車を止めている人に対して、注意しないのは、おかしくないの? 大きな交差点には歩道の横に自転車の通行を促す白線が自転車の絵と共にある。あれは一体何なんだろう。誰か説明してちょうだい。

 「坊や、自転車は左側通行。そっち走ってると危ないよ」。「はい」の返事も元気よく、左右に注意を払って左側、私の後ろに付いたちょっと太っちょの坊やがいた。小学生高学年か、女の子にはもてそうもない風貌で、子供の頃の私に似ていた。右側通行を注意して始めて気持ちのいい思いをした時のことだ。

 若いママチャリ白バイに乗ってるお巡りさん方に一言いいたい。上司から何も言われてないんだと思うけど、軽車両としての自転車は、左側通行が大前提なのよ。最近、渋谷近辺でお巡りさんの不法走行をちょくちょく目にする。ママチャリ自転車は、軽車両としてのカテゴリーから外れてはいないんだからね。時速10キロ未満で歩行者としての意識しか持っていないママチャリは平気で歩道を走ったり、右側走ったりしてるけどさ、きちんと道交法を守って走ってる自転車にとっては、危険きわまりないのが右側通行のチャリンコだからね。

 事故の殆どが右側通行が原因してるらしいし、堂々と交差点の右側を走って来られた日には、間違いなく左側通行の人と正面衝突するでしょ。車からだって右側を曲がってくる自転車は見えないんだから。アンタらお巡りさんが注意してくれないと、正面衝突はなくなんない。ましてや、自分たちが右側走って、どうすんのよ。現場に急行する時には特に注意してもらわないと、我々みたいに道交法やモラルを常に気にしながら走ってるロード・バイカーの立つ瀬がないじゃん。いい加減にしてよ、ったく。

  

2010年1月6日水曜日

ロード・バイクの値段

 坂道の登り、乳母車のような手押し車を押すお婆さんがいた。大業そうに両手を突っ張って小さな歩を進めている。足下の黒いゴム製の小さな靴が目に入った。貧相な出で立ちに貧素な靴なのだが、私には見たことのないような古い靴で、履き心地はけっして良さそうには思えなかった。たとえ履き心地は悪くても、お婆さんに取っては慣れ親しんだ靴で、十分心地よく履けるのかも知れないとも思った。

 靴に求められる機能はそれなりに沢山ある。雨や雪が降るときには長靴がいいし、通勤の時にはそれなりにスーツに合う、落ち着いた履き心地のいい物が欲しい。結婚式やお葬式の時にはそれなりの礼服用の靴を履くのが礼儀だろう。実用的な機能と情報的機能の二つの機能を満たす履き心地のいいモノが欲しいとなると、複数必要だし、それぞれに金額もかさむ。お洒落心とはお金がかかるモノではある。

 普段履きというか、家の近所へのお買い物や休日の昼間、ラーメンなんかを食べに行く時には何も気にせず、どんな靴でもさして気にはならない。一方、オリンピックの短距離やマラソンのランナーの靴は、スポンサーの靴屋さんが総力を挙げて制作するもの凄いモノらしい。ミリ単位やグラム単位で調整された、その選手だけのための特注品で、トラックや路面の状況でソールの材質や厚みなども変わり、履いていると言う感触すらないような靴で、ただただ記録を伸ばすためのモノだと言う。そんな桁違いに凄い靴でも、私の安物の靴でも、靴は靴であり、歩くだけのためなら何ら支障はない、とも言える。

 自転車だって同じ事だ。オリンピックに出場するような競技用の自転車を市販すれば「一億近い金額になっちゃうかも」とのコメントを聞いたことがある。駅前で雨ざらしで放置されているママチャリは一万円前後だ。ツールド・フランスなんかで走る自転車にも値段は付かないと思う。市販されているそのクラスのロード・レーサーだと軽く百万は超えているので、本体としては、2,3百万くらいか1千万を超えるのか、良く判らない。わたしの知識外の所であり、自転車を維持管理するのに必要な経費や人件費などを含めれば、きっと値段は付けられないようなものが走っているのだと思う。自転車も、靴と同じようにピンキリだということ。タダに近い金額から信じられないような金額までと言うことだ。住宅や別荘の建設コストも同じようなことが言えないことはない。特に別荘などの建設コストについては住宅と違って、幅が広く設計前の予算立ての時にはよく相談を持ちかけられるのであるが、自分が使う建物としての値頃はだいたいの所ではあるが、あるにはある。

 で、私の感じでは通勤に使う自転車の金額の目安は、自分が通勤に履いている靴の10足分くらいの金額がいいんじゃないかと勝手に考えている。今、おいくら万円の靴はいてます? それの10足分くらいの自転車を買うのが、身の丈に合っていると思う。毎朝、仕事場に跨ってゆく自転車で、ケチるとろくな事はないし、常識的な金額は?と問われればの話ではある。え、10万円の靴はいてるんですか。じゃー100万円の自転車がアナタに相応しい自転車ですね。いくらでもありますよ、100万を超えるような自転車。

 凄い高そうな自転車だけど、幾らしたの? ね、幾らなのよ、この自転車、と実にまー品のないことを尋ねてくる人がいる。幾らだっていいじゃないの。こういう人は、何でもかんでもそのモノの値段を聞いてくる。全ての物を金額という尺度でしか測れないかわいそうな人で、モノの本質が判らない貧素な人だ。

 とある陶芸家の窯元を訪ねたことがあった。その方の焼く陶器や陶板は何故か私の気持ちを強烈に引いていた。見て直ぐに、いいと思えるモノばかりで、一つのある白い皿は、アイスクリームから肉じゃがまで、何を盛りつけてもその味を数倍良くしてくれるモノだと思った。  

 その作家に、土の値段を聞いた人がいた。一袋何キロ入って幾らなのかを問うていた。何でそんなこと聞くんだろうと疑問ではあったのだが、帰路の車中で、作品の原価を計算し高いか安いかの判断をしていたことを知った。私は、呆れかえって言葉も出なかったことを思い出す。この人は、上場会社の社長クラスの人であり、陶芸家はイタリアの著名なコンテストで銀獅子賞を受けた方である。

 全く彩度のない壺があった。見ていると全ての色がそこにあるようにも見え、不思議なオーラを放っていた。主張のある黒に近いグレーで、理数的なストレートな六角柱、茶筒のように上三分の一は蓋になっている。土から練り上げた素材感を残すテクスチャーが陶器であることを示していた。六角柱の側面は、磨き上げられた鏡面の仕上げと、焼いたままの粗雑な肌が交互に3面ずつある。手作りの為なのか、焼いたときの温度誤差なのか、若干の歪みが人の手による作品であることを伝えていた。蓋の上部は凸面レンズのような曲面を持ち、鏡面に仕上げられ、磨き上げられた側面と共に天井の蛍光灯を冷たく反射していた。荒く仕上げられている面は光を吸収し、焼き上がったときの偶然を期待して作られた作品ではなく、当初より計算された形がそこにあり、他にはない斬新を感じた。陶芸の作品とは古さや伝統ばかりを強調するモノだと思っていた誤解を払拭させられ、未来を表現した作品にも思え、私は、意外な驚きを感じたのだ。凄いと思った。金額は幾らでもいいので、欲しいとさえ思ったのだ。陶器からここまでの感動を得たことはなかった。

 そんな芸術とも言える作品の、原価を計算し高いか安いかの判断を下そうとしていた人は、100万を超える自転車に魅力を感じることはない。たとえ10万以上の靴を履いていても、自転車に100万は出さないだろう。足腰の弱ったお婆さんがゆっくり手押し車を押すときに、お婆さんにとっては慣れ親しんだゴムの古い靴を見て、新しい靴を売りつけようとする淋しい考えしか持ち得ない人だとも思う。オリンピック選手の靴につぎ込まれたノウハウをきちんと評価できる人ではない。100万を超える自転車、いいじゃない、どんな乗り心地なのか、一度は乗ってみたいわさ。



2010年1月2日土曜日

一人でツールド・フランス

 やったー。2338秒。久々、堂々の、23台だ。自己対記録。

 お盆休み中の8/13(水)の朝8時半、いつもより早めに自宅を出て、いつものように走り出した。環七を超え淡島通りを走り出すと、車が極端に少ないことに気付いた。そうだ、お盆休みなんだ、との思いが浮かび、これは高タイムが出せるかも、との思いで、モチベーションが一気に上がった。記録更新の世界新とばかりに飛ばしてしまったのだ。一人のツールド・フランスで堂々の一着を獲得した気分。これで、22台の新記録も夢じゃない。

 ユニクロの22,900円の半ズボンに、色あせしたGAPのガラシャツ。頭には黒のサイクリング・キャップの上に、使い込んだ貫禄付きつつある赤いカスクのヘルメット。うまい具合にハゲを隠してくれるので、傍目には59才のオッさんには見えない、だろう。バス停に停車するために速度を落としたバスを右側から追い越してゆく。後ろの車に右手でその旨を合図しようとも思ったが、後ろに車はいない。自転車を軽く右に左に傾けながら、滑るようにバスを追い越す。追い越せば、前方に車はなく、さーどうぞ状態。チェーン・リングは50歯の大きい方に既にセット済み。右手で後輪側のギアを一つ、二つと上げてゆく。

 前方には下り坂が待っている。ギアがトップに入って、軽々とスピードが上がってゆく。多分、既に時速50キロは超えている。坂の下の信号機を見れば、青だ。交差点の真ん中に右折車が留まって、私の通り過ぎるのを待っている。そのままのスピードで信号を通過し、緩い右カーブ。左側に交番があって信号がある。ここも青だ、超えると登り坂に入る。登り切るちょっと手前にもう一つ信号が待っている。ギアを一つ一つ落としながら登坂してゆく。見れば信号が赤から青に変わった。正にラッキー、である。

 少々スピードは落ちたとは言え、坂を登り切ると平坦な道が続く。おー調子いいじゃん。なんだオイ、又バスか、2台もいるネー。バス停を出たばかりで重そうに加速中だ。こんなことしちゃいけないのは判るが、対向車線は空っぽだし、ノロノロ走るバス二台の後ろにはつきたくないので、少々踏み込みの回転を上げて追い越しに掛かる。難なく二台を追い越してしまった。今朝の淡島通りは正に私の自転車通勤のオリンピック道路。すね毛の汚い私の足も、妙に元気に日焼けしてます。

 スピードが乗ってくる。不穏な笛の音が耳元をかすめ始める。もっと踏み込めば、もっと出る。時速60キロは、多分、超えている。ハンドルから感じる安定感は加速する毎に増し、スピードへの誘惑を増幅させる。チェーン・リングはアウター側の高速用、後輪のスプロケット・カセットは小さなトップに入っている。ケイデンス(ペダリングの回転数)をもっと上げることは可能だ。誘惑はどんどん大きくなる。未知の速度をくぐり抜けると、間違いなく新たな世界が広がる。どんな世界なのか。ケイデンスを上げに掛かる。上体をより一層屈め弾丸が坂道を落ちてゆく。こんなこと、やってはいけません。中年のオッさんにはオッさんなりの走りがあるんですから。